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〒999-6821 山形県酒田市山寺字見初沢157番地の1
〈校歌作詞者〉 〜プロフィール〜
山本陽史(やまもと はるふみ)さん
山形大学学術研究院教授。1959年和歌山市生まれ。東京大学文学部、同大学院を修了。専攻は江戸時代や藤沢周平、井上ひさしなどの文学。著書に『山東京伝』『江戸見立本の研究』『やまがた再発見』『日本語再入門』『新聞活用ガイドブック』『藤沢周平の山形』『東北から見える日本』など。音楽分野では聖バレンタインブラスアンサンブルのメンバーとして国内外で演奏活動を行う。1987年、日本アマチュアブラスアンサンブル組織を創設し松山をはじめ日本各地で金管楽器のフェスティバルを開催。95年に庄内一円で開催された世界ホルンフェスティバルの専門委員も務めた。
現在も松山地域の防災無線で流されているまつやま賛歌「わたしのまつやま」(石川里美さん作詞)の補作詞を担当した。現在は生涯学習施設里仁館で講座を担当、眺海の森音楽祭実行委員として活動している。日本トランペット協会常任理事。旧松山町・山形市から文化功労表彰を受けた。
松山小学校のみなさんへ 山本陽史
30年くらい前から松山に何度もうかがっています。松山はいつも豊かな自然にめぐまれ、人びとのあたたかさにあふれた土地です。ここで学び育っていくみなさんは本当に幸せですね。東の山々につながる外山(とやま)、山から見下ろす最上川、日本海、ここにしかない美しい景色です。みなさんは山寺地区にある「阿部記念館」をご存じですか?この阿部家からは東北大学の先生で『三太郎の日記』という本を書いた次郎さん、山形大学農学部で教えながら日本で2番目のユネスコスクールを開いた襄(のぼる)さんをはじめ、日本や世界のために活躍した人がいっぱい出たのです。阿部家の人たちは外山の森と庄内の四季おりおりの景色が大好きでした。大人になってふるさとを離れても外山をずっとなつかしんでいました。みなさんもふるさとの自然と友だちの笑顔、人びとの暖かさをいつまで忘れず、日本さらに世界で活躍してください。そんな願いをこめて歌詞を作りました。
〈校歌作曲者〉 〜プロフィール〜
成本理香(なりもと りか)さん
和歌山市生まれ。愛知県立芸術大学音楽学部作曲専攻卒業、桑原賞受賞。 同大学院修士課程修了、同大学院博士後期課程修了。同大学初の作曲領域での博士号(音楽)を取得。日本人の受賞は9年ぶりとなる第29回入
野賞受賞をはじめ国内外のコンクールに入選。平成27年度愛知県芸術文化選奨文化新人賞、平成28年度和歌山県文化表彰文化奨励賞など受賞多数。作品は日本のみならずオランダ(ガウデアムス国際音楽週間)をはじめとして、エジプト、フランス、オーストリア、ドイツ、ウクライナ、アメリカ、カナダ、フィンランドなどの国際フェスティバルやコンサートでも演奏されている。アメリカのACC
(the Asian Cultural Council)フェローに選ばれ、招聘を受けて2011年渡米、ニューヨークに居住しアメリカの現代音楽と現代芸術に関する調査研究活動を行った。ニューヨーク滞在の終盤に行った自作自演を含む個展は好評を博した。愛知県立芸術大学准教授。金城学院大学、金沢大学各講師。名古屋市立大学芸術工学部研究員。
文化を愛する町と新しい校歌 成本理香
今から10年以上前に、「松山町は数年後に酒田市に吸収合併されるが、石碑などではなく文化を残したい」との依頼を受け、「わたしのまつやま」という歌を作曲した。しかし今はもう誰も知らない歌になっているだろうと思っていた。昨年夏、新しい校歌制作の打ち合わせの為に久しぶりに松山を訪れて驚いた。今でも地区の防災無線ではこの曲の旋律が流れ、さらにこの歌を練習している小学校もあった。あの時の言葉通り「文化」は間違いなく残されていた。そして沢山の方と会い、皆が松山を本当に愛しているのだと感じた。
昨年秋、山本さんから素敵な歌詞が送られて来た。松山の素晴らしさと、松山から世界への広がりを感じ、山本さんの松山への思いも伝わって来た。私は作品に松山を愛している沢山の人たちの思いを乗せ、そして校歌もまた文化のひとつとして、永く愛されて歌い継がれて行くようにという思いを込めて作曲した。文化を愛する町である松山の子どもたちが、この校歌を大切に思ってくれて、さらに、大人になっても覚えていてくれたなら、それは作曲者として何よりの喜びである。